2日目:若き汝の決意
日本一周2日目 (鹿児島編)
ブログ遅れてますが、リアルタイムでは2日がかりの山登りを終え、屋久島のゲストハウスでのんびりしています!!
それじゃ2日目から
「風が冷たい!」
朝の海風で目を覚ます。
まだヒッチするには早いから
日本一周のメイン写真撮るぞ!
海辺でパシャパシャ
時間も経って、ヒッチ!
目的地は知覧特攻平和会館!!
開始から30分後、地元のおじいちゃんが暇つぶしにって乗せてくださいました!!
近くのスポットを話してくださったり、缶コーヒーまでご馳走してくださってありがとうございますヽ(;▽;)ノ
ここが知覧特攻平和会館。
少し知覧の話をすると、、、
第二次世界大戦で沖縄にアメリカが攻めてきました。日本は沖縄を絶対に防衛したい為、最終作戦の飛行船に爆弾を積んで敵の戦艦に突っ込む「特攻作戦」を実行しました。
その特攻で1000人ほどの若い命が亡くなりました。その中でも知覧が一番多かったそうです。
知覧特攻平和会館は今後2度と同じことが起こらないように、彼らの残した遺族への手紙や遺書、当時の写真が展示してあります。
展示物の写真撮影はNGなため、今回写真はありません。なので、僕の感じたことを書かせていただきます。
僕は広島や沖縄の平和会館に行ったことがあります。そこには当時の写真や持ち物、様子などが展示されてました。
そことは違って、知覧特攻平和会館には、当時の想いが生きた形となって残ってました。
多くの遺書にはこう書かれてました。
「僕は特攻部隊に選ばれました。僕は国のために征ってきます。この手紙が届く頃には僕はもうこの世にいないでしょう。お母さん、お父さん泣かないでください。笑ってください。今までありがとう」と。
多分、彼らは生きたかったのではないでしょうか。
特攻隊の平均年齢は21歳で、僕より低い。でもどれだけ彼らの気持ちを理解しようとしても、わかりません。彼らの中には妻と子供もいました。
私達(妻・子)がいたらあなたは、残された私達のことを心配するでしょう。だからあなたが思いっきり征けるように私達は先に待ってます。さよなら。
と書かれたものもありました。
彼らが飛行船に乗り込む前の集合写真はみんな笑っています。
関係者によると、楽しいから笑ってるんじゃなくて、それは最後に吹っ切れた顔なんだよって言ってました。
この時代にどれほど多くの命がなくなったのでしょう。
僕は胸が苦しくなり、気がつけば泣いていました。。
生きたくても生きれない時代。
やりたくてもできない時代。
当時はそんな時代だったんじゃないかと思います。
現代は食べる物・欲しいものが簡単に手に入り、生きれることが当たり前の時代になってる気がします。
日本は今内戦が起きてます。
「自殺」です。
毎日多くの命が自ら絶っています。
でも、
先祖が繋いでくれて僕らはここにいるんです。
お母さんが10ヶ月もお腹を痛めて僕らはここにいるんです。
僕らは
生きる為に生まれてきているんです。
だからもっと命を大切にするべきじゃないでしょうか?
もう2度とこのようなことが起きて欲しくありません。
ここでたくさんのことを学びました。遠回りしてまでここに来て本当に良かったです。
次は大切な人と来たいです。
ここで学んだことを旅の終わりに形にしたい、そう思いました。
20分後、トラックのおっちゃんがフェリー乗り場まで乗せてくれました!!
鹿児島のことや家族のお話をして楽しかった!ありがとうございます!!
そしてフェリーに乗り込む!
そう、ロマンの島
屋久島に行ってくるぜぇ!!!
フェリー内は雑魚寝!!
みんな適当に寝る感じ。
どこにしよっかなと考えてたら、バックパック持った男2人おって、面白そうだったからそこに決定!!
2人の名前はみつほとそう。
電車で九州一周してるらしい!
2人とワチャワチャ話してたら
関西からチャリで来た2組も「面白そうなんで来ちゃいました!」って話に加わって
みんなで旅の話とか夢とか話しして盛り上がる!!
いい時間になっておやすみタイム!
今日はいい一日だった!!
次から屋久島編なんで、お楽しみに!!